2026/09/23 21:22


私たちが日常的に食べているじゃがいも。
しかしその背景には、文明・飢饉・戦争・科学・政治が絡み合う、
驚くほどドラマチックな歴史がある。

- 起源 -

じゃがいもの原産地は、南米アンデス山脈の標高3,000~4,000m。
昼夜の寒暖差が激しく、作物栽培にとって過酷な環境の土地でアンデスの人々はジャガイモを育ててきた。
夜間の寒さと日中の強い日差しで凍結乾燥させた(今で言うところのフリーズドライ技術)「チューニョ」という保存食にすることで、インカ文明の食糧と軍事を支えてきた歴史がある。
今でもこの「チューニョ」はペルーやボリビアの農村で普通に食べられているというから、その歴史の長さには驚かされる。
現地ではスープやパンに混ぜて食べるみたいだ。
ちなみにこの「チューニョ」、日本でも北海道や東北地方で作られており、「しばれ芋」や「凍み芋」と呼称している。

(画像:全レシピ管理栄養士監修 デリッシュキッチン「チューニョとはどうやって作られる?似ている日本食材もご紹介」  https://delishkitchen.tv/articles/1993

- 16世紀~ -

大航海時代、スペイン人がインカ遠征の際にじゃがいもを持ち帰ったことで人類文明の表舞台に顔を出すようになる。
とはいっても、当時は食用ではなく観賞用(花)として持ち込まれたようだ。
地中にできる塊茎を食す文化が当時のヨーロッパにはなかったこと、地上部にソラニン(毒素)があったことによると推察できる。
じゃがいもが実際に食されるようになるのは少し先の18世紀になってからのことであるが、1つ有名な(?)逸話を紹介させていただこう。
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18世紀のフランス。
当時のフランスでは飢饉が続き、従来の小麦依存型の食糧体制では人類の胃袋を支え切れない状況であった。
農学者のアントワーヌ=パルマンティエは、当時の国王ルイ16世による勅命を受け、食料体制の抜本的な改革に乗り出す。
パルマンティエが着目したのがじゃがいもだ。
事実、じゃがいもは小麦の2~3倍の収量(カロリーベース)、やせ地でも育つ強さや保存性の良さ、栄養価の高さを持っている。
ところが、当時の農民はこの新しい作物を警戒して誰も育てようとしない。
頭を悩ませたパルマンティエはある行動に出た。
王の土地にじゃがいも畑を作り、その畑をわざと柵で囲い、兵を配置して厳重に見張らせたのだ。
それを見た農民は「王様が守るほどの貴重な作物」だと思い、夜中に忍び込んで株を盗み、自分の畑で栽培し始めた。
こうしてじゃがいもは食料として広まっていくこととなる。
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禁止されているものほど欲しくなる(リアクタンス効果)という人間心理を巧みに操った事例であり、マーケティング史においても貴重な歴史的実例と言えるだろう。
現代でも、高級アパレルブランドやiPhoneで有名なAppleが取り入れているから馴染みの手法だ。
こうしてヨーロッパに広まった食糧としてのじゃがいもは、18世紀のヨーロッパの人口増加と産業革命を支える影の立役者となったのだ。
Nathan NunnとNancy Qianによる『The Potato’s Contribution to Population and Urbanization: Evidence from a Historical Experiment(2011)』では、じゃがいもと人口増加の因果関係を分析し、こう結論付けている。
「According to our most conservative estimates, the introduction of the potato explains 22% of the observed post-1700 increase in population growth.」(Nunn & Qian, 2011)
「According to our estimates, the introduction of the potato explains 47% of the post-1700 increase in the average urbanization rate.」(Nunn & Qian, 2011)
つまり、食料としてのじゃがいもは、1700年以降の人口増加のうちの22%を支えており、平均都市化率(ある国や地域全体の人口において、都市部に住む人の割合が一定期間内にどれだけ増加したかを示す変化の割合(スピード)、または複数の地域全体の都市化率の平均値)の上昇の47%に貢献している、ということのようだ。

(画像:アントワーヌ=パルマンティエ (画)フランソワ=デュモン)


- 日本 -

日本にじゃがいもが伝わったのは17世紀(江戸時代前期)とされている。
諸説あるが、インドネシアのジャカルタ(当時の呼称:ジャガタラ)から長崎へ運ばれてきたため、「ジャガタラいも」→「じゃがいも」となったようだ。
これは貝原好古が著した『和爾雅(1688)』(わじが)に記載されているエピソードであり、日本語としてじゃがいも(ジャガタラいも)が出てきた初めての事例とされている。
日本でも例にもれず、享保の飢饉(1732)、天明の飢饉(1782~1788)、天保の飢饉(1833~1837)では、さつまいもと共に救荒作物として活躍している。
明治期になってからの北海道開拓では、北海道の冷涼な気候にマッチした主食として開拓民の胃袋を支えた。
ちなみに、この開拓期に導入された品種こそ言わずと知れた「男爵」(=アイリッシュ・コブラ)である。
今もじゃがいもの一大産地として有名な北海道であるが、歴史を遡ると、長崎→中四国→東北→北海道の順で広がっていったことが分かる。実に面白い。
ちなみに、長崎は「にしゆたか」や「でじま」等様々な品種のルーツを持っており、春じゃがの品質ではプロの料理人からも絶大な評価を得ている産地でもある。

以上、じゃがいもと人類の歩みを追ってきたわけだが、皆さんはどのように感じただろうか。
歴史の陰に隠れながらも、今日の我々人類の繁栄と存続を支え続けてくれているじゃがいも。
今日も彼らに感謝して眠ろうと思う。

【参考】
・全レシピ管理栄養士監修 デリッシュキッチン「チューニョとはどうやって作られる?似ている日本食材もご紹介」  https://delishkitchen.tv/articles/1993
・Nathan Nunn & Nancy Qian, The Potato’s Contribution to Population and Urbanization: Evidence from a Historical Experiment, 2011 https://www.nber.org/system/files/working_papers/w15157/w15157.pdf